2007年02月11日

2007年2月の東京の休日はどのように熱かったか

□ここ数日、おれの周りでは四方田犬彦の話で持ちきりだぜ(いたってスモールサークルだぜ)。前作『月島物語』(集英社文庫)の増補改訂版である『月島物語ふたたび』(工作舎)の刊行、そして師匠由良君美を書いた長編・問題ポルトレ「先生とわたし」の『新潮』3月号への一挙400枚掲載。東京堂書店で15時から、新刊の記念講演会があるので出かけた。ふらっと行けるかと思ったら、ほとんど満員で、立派なもんだと思った。

おれは高校2、3年のころは宮台真司になりたかったけど、大学の前半くらいは四方田犬彦になりたかったんだ。イタい記憶だが捨てたい過去ではないんだ。大学入ってすぐのころか、四方田が出席する対談があって、相手は福田美蘭ほか異分野の人数人で、アサヒビールのメセナか何かだったと思うが、四方田先生の努力も虚しく、話はまったく盛り上がらず、おれはシュンとして帰った記憶がある。だからおれは東京堂でほぼ満員の聴衆を前に、まるで月島というタイトルの落語だとか、講談を披露する伝統芸能の演じ手のように、よどみなく引き込まれるトークをぶっ続ける四方田先生に度肝を抜かれた。ある程度の質を保った評論を大量生産し、大学でももう二十数年教えている訳だから、こういう融通無碍でこなれた話しぶりなのは不思議ではないのだろうが、これまで見てきた人の中でも、宮台真司と並んで言文一致度が高い(高ければ良いということではない)。そのまま原稿に起こしても、滋味ぶかい読み物になろう。

かつてバルト(や由良君美)がサブカルチャーを題材にしてアカデミックな技法を施して論文を書き、注目を浴びた。四方田氏もこの方法で文章を何本も書いている。現在では当たり前の方法だが、あらゆるものが分析対象・テキストになりうるのだという考え方は、読書する人に衝撃をもたらした。同様に、氏にとっての月島は、非常にたっぷりとして読み出があり、いろいろな方法論(都市論、記号論、民族学、宗教学、トポロジー…)で解釈できる、手付かずのテキストだったのだと思った。

たとえば、狭い共同体のルールとか、「一の部」「二の部」など、区域ごとに番号が振られた住民グループが携わる祭祀行事、ニューヨークでは5つのカギを使っていたからカギを使わない生活におどろいたという、扉が内と外を分けるのでなく、敷居やたたきが曖昧に分けていくという、路地や世間の論理。さらには実話なのか民話なのか曖昧なままで受け継がれる、震災時に逃げてきた朝鮮人を匿ったという佃の大将のエピソードに見られるような小さな歴史。のちに巣鴨へ移される監獄・獄門島がはずれにあって、「島に流すぞ」が子供を叱るときの言葉にあったというように、本土の人には異界だったというエピソード、最後、月島関係のじいさまが大演説を行うきっかけとなった、「レバカツ」、長屋の書生部屋を有効活用するために各所で始まったのが流行のきっかけという「もんじゃ」などの食文化。街自体が100年ちょいの人工的に作られた街であり、江戸時代には無かったから下町ではない。そして1900年代には文化人が集まるサロンのような街であったのが、10年代には製鉄の街になり、以後(?)は魚屋さんや芸者の街になったという、都市論的移り変わり。

こういうものが聞き易い抑揚で75分くらい語られた。カギ5本のニューヨークからカギをほとんど使わない月島に移ってきた話とか、語りにドライブ感があって、実に面白かった。あと、内と外を曖昧に分ける役目をたたきが持っているという話(四方田先生は東京は杉並とか西半分にしか住んだことがなく、日本映画を分析する者として、下町方面にリアリティがないことにコンプレックスを抱えていた。杉浦日向子に「四方田さんはサッチョウの人ね」と言われて意味が分からなかったが、東京の西の方の人は、薩長から来たような田舎者だという意味で、むかし流行った言葉だという。そういう事情で、きちんと日本映画をつかまえるために、二階建ての月島の家屋に先生は引っ越したのだ)とか。質問者は、月島在住の友人がいる人とか、月島とゆかりがあると見られるおじいさん二人で、とても濃かった。というか、四方田犬彦の講演会だというより、郷土史家の講演会と思って聴きに来ている人が、今日は多かったんだろうな。書き遅れたが、この本は工作舎が月島に移転するということで、工作舎の記念出版ということになっている。

サインをもらいたかったが、時間がない。一階でいま話題沸騰の(しつこい)『新潮』をひっ掴んで、あとやたら派手な『アスペクト』を貰って、半蔵門線で行けばよかったのだが、小川町まで歩いて住吉へ。昨日につづいて、にせんねんもんだいのパフォーマンスを見るのだ。地下鉄の中で『新潮』ガン読み。なんなんだこの回想文は。

□17時から(15分遅れた)ティアラこうとう大会議室でにせんねんもんだいと、コンテンポラリーダンスのホナガヨウコによる「ホナガヨウコ企画音体パフォーマンス第2弾“のべつまくなしこどもたち”」。

にせんねんはNESTでの自主企画や円盤ジャンボリーや都内ライブハウスで活躍する3人組のガールズバンド。去年のRAW LIFEではヘッドライナーを飾った。オルタナ、パンクの文脈の上で、ソニックユース、KIRIHITO、OOIOO、NEU!をゴチャ混ぜて凶暴にした感じで、純度の高いグルーヴを叩き出す演奏力と、鳴らす音楽と3人のルックスがぜんぜん合ってないところなどで一部でとても高い評価を受けている。ギャラリーでファッションショーとライブが混じったようなパフォーマンスをやったりと、アート色が強いのも特徴で、物販ではいつも、自分らで作ったバッグや衣類や下着なんかも売り出していて、そこを見るだけで面白い。

ホナガとにせんねんは2004年にも「白黒ゼロ」で共演しているがなぜだかおれは行っていない。ティアラこうとうの地下1階にある会議室を2つつなげた会場でイベントは行われた。チラシとしてアサヒビールが発行しているメセナ告知冊子をもらった。今日はアサヒビールが協賛しているようだ。アサヒビール、長きに亘り東京の文化を地味に下支えしている。

会議室、スペースはけっこう広い。200~300平米か。奥にドラムの姫野、右手にベースの在川が立ち、左手にギターの高田が立ったり座ったりで演奏する。いずれもモニターがない。マイクもない。会場は会議室だから、音響面を特に考慮した環境ではないが、音像は悪くない。二等辺三角形みたいににせんねんもんだいが囲む空間で、ホナガヨウコを含む、3人の若い男女がダンスをする。

ストーリーは明確にはない。題の通り、こどもがのべつまくなし遊びまくるという内容だと思う。天真爛漫なお遊戯があったかと思えば、鋭い演奏に合わせてアメリカのプロダンサーみたいなキレのある踊りも飛び出す。つっても、踊る3人は、いわゆるダンサー的な身体を持っているわけでなく、中肉(女の子は一人、すごく痩せていた)中背で、そこも面白い。バンドの3人もふくめて、演者のたたずまいが現代的なのだ。チェルフィッチュの俳優も入れてもいいが、気力はあるがやる気マンマンです!という体でもない。確固とした表現力があるのだがちっともそうは見えない。そこも面白い。

さっきも書いたようにこのパフォーマンスは今日で二度目だ。昨日も夕方の会で見ている。しかし、遅刻して半分きゃ見られなかったのと、すごいものを見たという気がしたので今日も来たのだ。公演は土日2回ずつだから全部で4回きゃやってない。

見る前は、もう少し演奏か踊りのどちらかが主導権を持つ、という関係になっているのかと思った。しかし実際はイーヴンで、お互いが不足しているところを補い合っているような、理想的なコラボになっていて感心した。にせんねんはシンバルを打ちまくるおなじみの曲など、2曲くらいは旧曲だったと思うが、あとは新曲づくし。いつも20分程度で「今日は長かった!」と思えるような短いライブをやっている人たちだから、断続的ではあったけれど、1時間もそのパフォーマンスに接することができたのはうれしかった。この人たちはいつバンドをぱったり辞めてしまってもおかしくないような、不安で脆そうなところがあって、それも魅力だったりもするのだが、このまま長く細く続いてくという確信をなぜだか持った。それこそベースの日向秀和が脱退したばかりのZAZEN BOYSのようにガツガツ急速に成長していくバンドではないが、ゆっくりと独特な表現をしていくと思う。それでそれがアンダーグラウンド音楽の懐の深いところだと思うのだ。

パフォーマンスについてもう少し書こう。舞台はない。会議室だからフローリングだ。客席だけ雛壇の上だ。だから踊る方はとても広く使える。6人とも白い綿の自分らで作ったふわふわした衣裳を着ていた。会場の上にはヒモが張り渡されていて、白い布がぶらんと何枚もぶら下がっていた。優しいエレクトロニカに載せて、会場全体に映像が投影される場面があるが、白い布に映り込んだ落書きみたいなイメージがとても良かった。

3人が1つのフレーズを一人一人パートごとに演奏して、ダンサーも3人が別々に踊り、一周したところで最後に3パートが合体して、踊りも3種類の踊りが同時に踊られる、という場面が気に入った。あとはトップギアが入ったにせんねんの演奏に、それを視覚化したような踊りが載っているのは見ているだけで快感だった。客席はいかなる時にも動じない人が多かった。今日は50人くらい、昨日は40人くらいだったか。ホナガヨウコのファンが多いのだろうか、それともにせんねんファンも雰囲気に影響されたのか?スタンディングでも良いくらいだ。おれの左右どなりは迷惑されたかもしれない。ぴあで買ったチケットには、「大音量のパフォーマンスですので耳栓などお持ち下さい」などと印刷されていて面白かったが、スピーカーもそんなに大げさなものではないから小さすぎず、でかすぎずの音量。ときおり台詞やピアノ弾き語りの場面もあったが、ストーリー性は最後まで高くない。「こどもの元気なところ、凶暴なところ」を抽象性を持ったままで、ダンスと演奏で表現しきったすぐれたパフォーマンス。終演後は衣裳のまま3人がロビーまで出てきて歓談していた。

そんな3人を横に見ながらティアラ江東から慌てて出て、住吉のモスバーガーで急いでバーガーを咀嚼・嚥下して半蔵門線に乗り、渋谷で乗り換えてリキッドルームへ(でももうオープニングのOLAiBiとoptrumは終わっていた。実はあまり急いでなかった)。着いたら19時30分。

□ROVO結成10周年記念LIVEは満員ソールドアウト。ROVOの自主企画で券が売り切れになったのは初めてじゃないか。昔好きだった人も、いま追っかけている人もみんな集まりましたというような客層で、非常にムードが良かった。最近は激しい音が好きな、若いロックファンのような聴衆が多いから。

滅多にやらない懐かしい曲をやります、ゲストもいます、というような勝井さんのMCがあり、ギター以外はほぼベーシックな編曲の「KNM!」から始まった。いきなり完全燃焼だ。それから3曲、『imago』から創成期の曲を。「HORSES」「LARVA」とあと1曲やった。「LARVA」の、等間隔に鳴らされるたった1音の山本精一のギターリフ、これを中心に置いて組み上げていくミニマリズムとダイナミズムの織物は、初期のROVOの幾何学的な魅力をよく表している。この単純さが、聴いている人の頭の中のスイッチを押す。そしてその感覚はハードコア音楽にも共通する。ならべて聴くと初期の曲は、要求される演奏力は大変なものだったとしても、構造は単純だったのだと思う。

ゲストはシンセの中西宏司(2001年~2004年11月まで在籍)だった。「ROVOは7人で旅をしていた時期があった」とか、「つぎの曲は中西くんに導かれてできた曲」というようなMCを勝井さんがしていていちいちグッときた。といってもおれは右袖より右の、スピーカー前のエアポケットのようなところにいたから、中西さんは結局、一瞬も見えなかったのだが(それでもってどの曲を中西さんと演奏したかも、忘れてしまった!)。

中盤で「SUKHNA」と「NA-X」。この2曲はちょっと前までライブでは定番だった。2004年の京大西部講堂やブリュッセルでも演奏されている。「SUKHNA」は鳥が羽ばたくようなきれいなシンセループで始まって、時限爆弾みたいに次第に周期が短くなっていくドラム、競い合うようなギターとバイオリンがリードするサビで終わる。しかし全体としては上品な印象の曲。

「NA-X」は中期のライブでは必ず演奏される懐かしい曲で、展開が完璧に体にしみこんでいて体が勝手に動いた。楽曲が3段階に切り替わるのだが、そのきっかけとなるドラムフレーズがデコラティブで大げさで好きだ。最後の爆発するところで、ステージ前全体に軽いモッシュが起こったのだが、一部の頑健なタオル男が煽動するような形ではなく、女の子も男もみんなが笑顔で自発的にやっているモッシュピットと化していて、見てるこっちも笑顔がこぼれるような光景だった。

アンコールは「CISKO」。もう今日は全体的に「ここではこれしかないだろう」という曲がかかるので、何も言うことがない。ずれていくツインドラムのもたらす昂揚と不安、丹念に繰り返す地獄のようなサビなど、この曲の魅力がとても丁寧に演奏されていた。

初期の単純で幾何学的な曲づくり、中期のプログレだけどシンセが前に出てくるポップな曲づくりを経て、いまのROVOは『MON』『CONDOR』などのアーシーで即興性が高く、緻密な曲づくりを志向している。おれは家で頷きながら聴くような印象をいまの曲に持っているが、やっぱり家でもライブハウスでも頭がブッ飛んで体が汗だくになってしまうような曲を求めたい。今日の企画は、そういうバンドの変遷が体で判って、それぞれがこのバンドの歴史を自分に引きつけて考えるような、コンセプトのしっかりしたライブだったと思う。

それできっと「CISKO」で終わるだろうと思って、後悔のないように大暴れしたのだが、ステージ上は演奏が終わっても去らず、「最後に、今までたぶん一度しかやったことのない曲をやります。ASTROVO」というようなMCがあり、そのタイトルが鉄腕アトムのトリビュートに提供した曲とすぐには頭の中で結びつかなくて、しかし勝井さんが直後に「明るい明日のために」とか「明るい未来へつなぐために」というような、普通だったらなかなか言えないようなまっすぐなことを言った。それがおれにはやっぱりグッときて、たしかライブで2度は聴いている気がする鉄腕アトムの曲に酔った。その曲は踊れない曲ではなかったが、おれはまんじりともせずステージを見つめることしかできなかった。どこがアトムかと言えば益子さんが浮遊感あるシンセループをならしっぱなしにして、それがアトムが飛行している感じがする、あとは複雑で細かく刻まれたドラムのリズムがアトムの浮遊を手助けしているようだ、発表当時はそれくらいしか印象がなかったが、これこんな曲だったけ、と怖気をふるうくらい、強烈な曲にその日は聞こえた。前向きな「希望の希求」というようなものがどこからとは言えないが、楽曲全体から充溢しているのだ。なんなんだ、この曲は。インストによる究極のメッセージソングではないか。この曲は判りやすい意匠を使って主張を伝達するタイプのメッセージソングではない。その真逆の、恐ろしく迂遠な方法によるメッセージソングである。しかしおれはリキッドで、まるで金縛りにあったように、ただ直立不動で見つめることしか、黙って聴くことしかできなかった。

ROVOはトータルで2時間くらいか?ほかにもドラムセッションとか、あと1~2曲やったと思う。あと10周年ということで、特別に、山本さんがMCを喋った。それも一言。「アンコールです」だっけ? MCもパンクだ。

何度も言っているが、このバンドは変化していくから、見続けるしかない。そして、一生ついていきたいバンドではあるが、いつまでこの高いテンションの状態を見られるのか、それは保証されているもんじゃない。ドラムの腰の爆弾も、いつ爆発しても不思議じゃない。つぎは5月5日。アーシーになってきたとかインダストリアルな感じが後退したとかいろいろな感想はあるけれども、ただこのバンドがどんな風な道を進んでいったとしても、それをできる限り、そばで記憶していきたいとおれは思った。

東京という街の懐の深さのようなものを堪能したおれは、ああすごい、ああ今日はすごかったなあ、と一人ごちながら、家のそばのなじみの居酒屋で焼酎を飲みながら、クリストファー・プリーストの『逆転世界』(創元SF文庫)を混濁する頭にムチ打ちながら読み続けた。これを終えないと、『新潮』の「先生とわたし」までたどり着けないんだ!と、自分を律する妙なルールをこさえたものだから。

投稿者 かちゃくちゃ : 00:00 | コメント (0) | トラックバック